日本人の知らないHONDA(Driving HONDA) | 一般社団法人 中部品質管理協会

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欧米では、製造業が凋落したあと工場が閉鎖され、多くの雇用が、中国、タイ、インド等の低賃金の国々に移って行った。その背景にあったグローバリゼーションの概念も、今や失いつつある。変化の要因はそうした国々の賃金上昇にある。

そういう中で、ローカライゼーションという形で、工場、研究開発、サプライヤー、物流と、世界現地で事業を展開しているホンダが、注目されている。そのルーツは、「自分でやる」の本田宗一郎の企業家精神にある。

ホンダは、アメリカで、小型バイクで成功して世界一になり、1974年には、厳しい排ガス規制をクリヤするCVCCエンジンを開発、1982年、アメリカで自動車を生産する日本最初の自動車メーカーとなった。書名にある通り、アメリカのジャーナリストが、アメリカに根付いたホンダの活動を紹介している。

藤沢武夫氏との名コンビ。本田技術研究所は、短期的な利益追求からイノベーションを追求するために藤沢氏の決断で設立された。(ジグモイド曲線の開発サイクルでも立証)そして、CVCCエンジンの開発では、開発責任者の久米氏を通じて、水冷の優位性を知っていたことから。「あなたは、ホンダの社長になるか、技術者になるか」と決断をせまった。そして、この時「あなたが辞める時、私も辞める」と、約束したと言う。

 アメリカにも浸透した「ワイガヤ」。ホンダでは、即断即決の30分の打ち合わせから、毎週続く、経営課題の検討まで、矛盾のパラドックスを解決するために、平等にアイディアを議論するワイガヤの習慣がある。これは、アメリカでもその通り実行され、溶接カスの不良解決活動、アキュラのタイヤデザインの変更の事例(担当者が、副社長に「我々の夢をつぶす気か」と迫った)が紹介されている。

現場、現物、現実の3現主義。入社したばかりの技術者、入交氏が、F1エンジンのピストンリングの設計で失敗し、それを、現地、現物で叱責した。本田自身も過去、ピストンリングで失敗し、大学で冶金等の知識を勉強した体験をしていた事例。

創る喜び、売る喜び、買う喜びと個性の尊重。個人毎の決意、能力、創造性の源泉は異なっていても、やがて集団としての業績は向上するという考え方。

アラバマのリンカーン工場の設立をアメリカ人技術者に任せ、従来の直線式からゾーン式の画期的工場の実現、サプライヤーとの共存共栄の関係構築、中国と日本の尖閣問題では、政治的対立を越えて、中国人のことを考えた労使関係、新規車両の開発等、ローカライゼーションに真剣に取り組む姿も紹介されている。

ローカライゼーションの成功は、地元の労働者、アイディア、イノベーションの組み合わせによって、その国に最適な製品をつくることであり、働く人の自立と、一人ひとりの創造性による人間主義の発揮によるものである。

ホンダジェットの開発時の福井氏の言葉。「モビリティは人間の欲求であり、ホンダはモビリティの手段をあらゆる次元から追求する。3次元の空は創業者の夢であった。人のマネをしないのがホンダの心である」等、本田宗一郎の考え方と、ホンダの経営活動の知られざるところを余すことなく紹介し、勇気と元気を与えてくれる書である。

(杉山 哲朗)